鶉野飛行場の後、再訪した網引駅。
網引駅西方300mほど向こうで昭和20年3月31日、エンジントラブルを起こした紫電改が不時着、線路を引き歪ませ、運悪くそこへ差しかかったC12の牽く列車が突っ込み、死傷者74名を出す脱線転覆事故が発生しました。
事故当時、軍により機密扱いにされたそうです。
事故に巻き込まれたC12 189号機の動輪は今は無くなった大阪弁天町の交通科学館でそれとは知らずに展示されていて、後年、偶然のように同定されました。
北播磨地方の長閑な風景の中に戦争にまつわる記憶が遺されています。